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ハワイのこと、いろいろ
by kalookekai
PROFILE
2005年5月から2006年8月まで、縁あってハワイ島に住む。帰国後、2008年7月からフラとレイメイキングを習いはじめる。そんな40男の徒然なる日記。
偉人の死
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フラにかかわる人で、アンクル・ジョージ・ナオペの名を知らない人はおそらくいないのではなかろうか。
私が仕事でハワイ島へ渡ったのが2005年。そこでフラを知ってからわずか4年ほどしかたたないが、その短いあいだにアンクル・ジョージの名をいったい何度聞いたことだろう。

私は彼の功績について多くを知らないが、それでも彼は、あの素晴らしいフラの祭典、メリー・モナーク・フェスティバルの創始者であり、あるいは女房のハワイ島でのクムのそのまたクムであり、CDで何度も聞いたハワイアン・ソングのつくり手でありまた歌い手であり、しばしば語られるハワイ文化復興の指導者であり、その独特のいでたち(派手なスーツにハット、あらゆる指にはめられた色とりどりの巨大な指輪)がいちど見たら忘れられない印象を残すひとりの人物でありと、じつにさまざまなイメージを私のなかに形づくっている。

そんなアンクル・ジョージが先月26日に81歳で亡くなった。先週末にはヒロのAfook-Chinen Civic Auditoriumでメモリアル・サービス(お別れの会、といったところか)が盛大に行なわれたという。
ひとつの伝説が終わりを告げたかに見えるが、彼の播いた種は、ハワイからはるか離れたアジアの島国の中年のオヤジにまでもその枝を届かせたといえる。何故ならこんな私でさえ、彼の死の知らせを単なるニュースとして、こころ動かされることなく聞き流すことはできなかったのだから。

心からご冥福をお祈りする。

[data]
上の写真は、アンクル・ジョージの呼びかけでつくられた雑誌「Humu Mo'olelo」第1号の表紙。
アンクル・ジョージの活動歴、弟子が語るアンクル、初期のメリー・モナーク・フェスティバルについて、チャントやメレの読解と記事は盛りだくさん。
季刊と称されているが、残念ながら以降の号は発行されていない模様だ。

by kalookekai | 2009-11-10 00:36
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